リン・ディン『血液と石鹸』

基本、タブロイド誌の一コマ漫画みたいにゲラゲラ笑いながら読み飛ばすユーモア&アイロニーではあるけれど、懐は思った以上に深い。異語によって書かれた辞書と、そこに書かれている言葉の意味を理解しないままに辞書を解釈して悦に入る(外部と隔絶された存在としての)囚人という、批評的存在としての人間像を戯画化/寓話化した必笑の冒頭作「囚人と辞書」に込められた「自己充足している内部を嘲笑う自己言及的な外部の視線」というテーゼは、さまざまに変奏されて他の短編、掌編にも通底している。その変奏のなかでも絶品なのはやはり「自殺か他殺か?」で、ニューヨークのタブロイド誌を大声で読み上げることによって英語を学ぼうとしている異国人を俯瞰する“私”という結構は「囚人と辞書」そのままではあるのだけれど、「自殺か、他殺か?!」「セントラルパークで観光客が刺殺された!」等のゲシュタルト崩壊を起こしそうな不穏な絶叫のリフレインのなかで「自分はいかなる暴力のなかに住んでいて、それ気がつかないままに暮らしていたのだろうか」という“私”の呟きが聞こえてきそうな残響とともに、外部と内部を反転させてしまうそのさまは、ンディアイとはまた違った類の技を見せられた思いがする。