ダニエル・ケールマン『世界の測量』

存分に愉しむ、大満足。あらゆるものを見ることで帰納的に世界の法則を身につけていったフンボルトは、世界を誰よりも知っているのに世間を知らず、卓越した算能によって世界の法則を直感してそこから事象を演繹していくガウスは、法則を誰よりも理解できるのに人の心を理解できない。世界を正しく測量するには、なるほど世界の外側に立たなければならない。アウトサイダーによる世界とのコミュニケーションの齟齬は生真面目であればあるほど、ドン・キホーテ的というべきコミカルさを得ていくが、交互に語られていくこの二人の物語もかたや奔放かたや偏執的な爆笑を誘う。ただその笑いの本質が何であるかに気がつくたび、笑いの底に澱むいびつなセンチメントに心をかすかに、しかし確かに揺さぶられてしまう。そしてこの二人の視点から解き放たれて語られるエピローグは、ある凡庸な視線/世界の内側から行われた、二人の天才を観測してきた短い報告書のようでもあり、それまでの光景にもうひとつの焦点としてじわりと染み込んでくる。