押入れから武田百合子富士日記』『犬が星見た』発掘、ついでに澁澤龍彦『サド復活』も掘り起こす。前者はぼくの青春の書(笑)、高校生のころ寝る前に少しづつ読んでいったものです。某所で話題にでたので懐かしくなってサルベージ。…日記ものはほかにアナイス・ニン筒井康隆のものが印象に残ってるのだけど、一番多く長く読み返しているのは多分『遠い太鼓』(村上春樹)でしょう。あ、日記というよりはむしろギリシャ・イタリア滞在記というべきかな。それはそうとしてこの本、夜間のアルバイトをしながら研究室に通ってた数年間ずーっとポケットの中にあって、ひまさえあれば頁をめくってました。別にたいしたことは書いてるわけじゃなく、イタリアの郵便事情にぶつぶついったりヨーロッパでのジョギング事情に困ってみたり運転してる最中に手を離してジェスチャーをしてしまうギリシャ人にどきどきしたり、そんな異国での日常を時折の憂鬱とセンチメンタリズムをまじえて淡々と記してあるだけ。自分のことを声高に書き記すのじゃなくて、自分にかかわる世界(日常)とその世界を見つめる自分の視線を普通に書いてゆく、押し付けがましくない力強いわけでもない、でも根のしっかりとした声が多忙で疲れたからだとこころに心地よかったのでしょう。おもえば武田百合子さんの日記も、ぼくにとっては同じような効能を持っていたのかもしれません。勉強することは楽しかったのだけれど余裕というものがなくて、必死になって自分自身の”何か”を探していたところに、とてもありがたい栄養となってくれたのだと思います。ビタミンのように、もしくは主食としての炭水化物のように、欠かすことができないものとして。
『サド復活』は最近関戸、キャリントンとシュールレアリスムづいてたのでちょうどいい機会と思ってサルベージ。とりあえず枕元においてちょこちょこ読みます。