[note]

『獣儀式』『陵辱の魔界』を特化しているのはあまりに苛烈な陰惨/糜爛な人肉解体描写ではあるけれど、ぼくにとっては過激な描写それ自体にはほとんど思いいれはない。サド、セリーヌボッシュそしてピエール・ギュヨタなどと同様に、そのあまりの徹底はほとんど戯画としてしか捉えられず、描かれる“驚異の光景”に対しては脱力した苦笑を浮かべるくらいだろうか。むしろぼくがこだわりたいのはそのような光景を描かずにはいられなかった作家の心象のほうで、だから彼等地獄のマエストロについての分析/解釈/背景/観念をつづられたテクストこそが好物ではあった。友成純一に関しては、本人が格好の参考書を用意してくれている。『人間・廃業・宣言』[洋泉社][bk1/amazon]友成純一が拘泥し溺愛する映画という“他者”を語ったいわば分析/解釈のテクストであるが、往々にして他者について語るということは自己について語るということでもあり、時に嬉々と時に狂々と、肉体と精神の絶えざる闘争として映像を読み解き語るその熱意はレッドゾーンに上がりっぱなしで、そしてたびたび振り切れる。かようなオブセッションの存在こそがあのような過剰な描写を産むのかと、SFマガジン連載時から目を離すことの出来なかったコラムであり、ひとつの魂の告白/カミングアウトの書でもあるこの本は読むたび臍下三寸が励起してしまうんだけれど…なんで『覚醒者』みたいな本を以下略。