望月諒子『殺人者』[bk1]

“けれんみがない”*1だとか、“天使が人間になった”*2だとか“アルテミスの論理と人間の倫理の対決”*3だとか書いてみたけど、自分の文章を読み返してみるとどーでもいいようなことしか書いてないように思える。望月諒子の作品を紹介するとき伝えなくてはいけないことは多分、文章を読んでいるときに感じる首を締め付けられるような迫力だろう、そう思う。
それから、望月諒子はミステリというよりも、ホラーの亜種としてのサスペンスという文脈で捉えたほうがわかりやすいんじゃないかな…

*1:先日も書いたとおり、とにかく下手なけれん味がまったく無い。『殺人者』という題名からしてそっけないし、だいたいプロローグ部分で第一の殺人がおこなわれる場面が(文字通り息を呑む筆致で)描かれるのだけれど、もうこの部分だけで「誰が」「何時」「何処で」「誰を」「何故」「どのようにして」殺したかがはっきり書かれている。これから誰を殺すことになるのかということまで包み隠さず…いや、これくらい潔いといっそ気持ち良い。そういうミステリ的な手続きを完全に排しておいて、“殺人者”によって操られ無慈悲/無意味に刈り取られるひとの命と被害者と関係のあるひとのくるしみを描き、その姿を前作で探偵役を務めたルポライター木部美智子の取材のかたちで語ってゆく

*2:『神の手』[bk1]はロス・マクドナルドを思わせるホラー/ミステリだった。事件の根底をなす基盤が“家族関係にひそむおぞましさ”であるか“小説を書くということのデーモニッシュな欲望”であるかの違いはあるけれど、人間の関係性の中から生じてしまった暴力的なオブセッションが事件を作り出すところや、いくつもの複雑なプロットがもつれ合いつつ輻輳して悲劇を浮き彫りにするところ、そして探偵役として真相を追究する立場におかれる雑誌記者“木部美智子”の存在感が、どこかリュウ・アーチャーを想い起こさせる。強烈な個性を持たないこと、事件を解決へと導くために調査を行い預言とも取れる見解を披露はするが、あくまで外部の存在として、“読者の代理人”として、物語の観測者/記録者として、いわば“天使”的な立場で、人間の精神性の異様さがもたらす事件の推移のひずみを客観的に見つめる、カメラ・アイとしての無色の探偵役…探偵が無色である分余計な見解をはさむことなく、事件の持つ悲劇性を“読者”にダイレクトに伝えるその手口、等等。それに比べると『殺人者』の“木部美智子”はずっと人間的だ。殺された者の関係者を慰め、宥め、煽てて取材し、その境遇に共感や反発をおぼえながら、事件を記事にまとめるために上役と折衝をする。冒頭の、木部美智子が小説を書きたいと言い出し早々に挫折…というエピソードは象徴的な意味合いも持っているのではないか[2004/06/26/02:20に追記あり]

*3:“木部美智子”を人間の位置に引っ張ってきたからこそ、最後の、神のごとき精神性で振る舞う“殺人者”との対話の緊張感と、賞賛とも嘲笑とも取れるあの台詞(←解説でばっちり書かれてしまってるので注意)の衝撃がある