ウィリアム・ゴールドマン『殺しの接吻』[bk1]

無慮数千冊の本を読破してそれでもなお物語の筋を純粋に愉しめる人がいるだろうか。出だし数十頁を読んだだけで「ふふん♪」なんて鼻を鳴らしてそのあとに続くあらすじを想像してしまって、実際その通りに話が進んで…ああヤダヤダ、そんなことになったらどう小説を愉しめばいいんだろう。例えば「プロットの運び方がうまい」だの「情感を醸し出す言葉使いの見事なこと」だの「思想的には問題があるが」等等、そんな病膏肓に入っちゃった日にはもはや厭味な衒学趣味のディレッタントになってしまうのが落ちではないですか。
.。oO( ↑と、自戒を込めて )
そんな症状に対処する一服の清涼剤としては申し分ないウィリアム・ゴールドマンの佳作がこのたびめでたく翻訳。一人住まいの女性を絞殺する連続殺人犯が事件を担当する警官に電話をかけてきて…といういかにもサイコパスな王道*1は踏み外され折りたたまれ紙ヒコーキにされるためだけに存在してるかのようだ。サイケデリックミュージックが聴者の期待/予想する旋律からずらした音階によって独特の酩酊感を生み出すように、プログレッシヴロックの変拍子が心臓が叩きだす規則的なリズムを混乱させて呪術的な高揚感をかき立てるように、ゴールドマンのタッチは読み手の予測を微妙に/絶妙にはずしてそこはかとない狂気とフモールのアンビエンスを召喚する。おお、オフビート!ただ、ゴールドマンの本領は、調子っぱずれで歪んでいてちょっと見ゲテモノにしかなりそうに無いパーツをお洒落にまとめあげる均整の取れた上品さであって、そういったことを考えると“すれっからし”な人だけでなくもっと一般受けしてもいいんじゃないかと考えているんですけどね。『プリンセス・ブライド』[bk1]ぐらい機知に富んで底意地が悪くて愉快でキュートな本はそうそう無いですよ。

*1:“母親”や変装がが重要なモチーフとして取り上げられている所なんか有名な“アレ”のパロディだろうし