伊坂幸太郎

いろいろ考えた末、伊坂幸太郎についての私見は読んだ順番に書いてみようかと…おもったらやっぱりまとまりが無いような(笑)。まあとりあえず以下に駄文を↓。
 
『オーデュボンの祈り[bk1]
警句と箴言とコマーシャルでコピーライティングなワイズクラック満載の語り口、プロットの奇跡的(というかご都合主義的)なコンビネーション…きわめてアップトゥデイトされたギリシャ古典劇のような演出だと考えたのは、直前にドッグヴィルを観ていたからだけではないでしょう。観念的/象徴的な舞台と登場人物を配したサイコドラマという印象もあったし、かちかち山のような昔話的な寓話であるとも思った。寓話だから悪人の人物造詣が薄くとも、事件がインクレディブルマシーンのように構成されることも気にはならなかった。伊坂幸太郎も『重力ピエロ』の文中で、この物語を寓話と言ってしまっている。しかし寓話は寓話でも“教訓の無い寓話”であると言っていることは、もっと考えておいたほうがいいのかもしれない。しかし『オーデュボンの祈り』を読み終えた時点ではそんなことは考えもしなかった。ただ城山という強力な悪意の裁かれ方が物語から乖離しているんじゃないだろうか…ということにひっかっかりを覚えていただけだった。
 
ラッシュライフ[bk1]
いくつかの物語が巧妙に重なり合ってはいるものの、基本的に短編群を切り貼りして構成されているといっていいと思う。そしてその最後のほうで純粋/絶対悪を象徴するキャラクターがその報いを受ける場面があるけれど、その報いはその物語の外部から青天の霹靂のように飛び込んできて強引に決着をつけてしまう…蝶の羽ばたきが台風をまきおこす原因となるかのように。『オーデュボンの祈り』でもそうだった。デウス・エクス・マキナ…とっさに出したくなる言葉だけれど、伊坂幸太郎の世界においては神様は全知ではあっても有効力を剥奪されている…いやもしかすると神が有効力をもたない存在であることに腹立たしさを覚え、そのことを告発しようとしているのかもしれない。本作の画商や『オーデュボンの祈り』の警官のような悪意を裁くことの出来る存在であるべきの“神”が無力であること、神が無力であるなら世界にはびこる悪意を打ち倒せるものはいないのではないか、もし神に代わるものがあるとすればそれは“奇跡”がおきることなのではないのか…伊坂幸太郎の、incredibleとしかよびようのないプロットは奇跡の作り方(レシピ)なんじゃないんだろうか。
 
『重力ピエロ』[bk1]
人間の構造。だれでも苦しんでいる人は、自分の苦しみを知らせたいとつとめる。――他人につらく当たったり、同情をそそったりすることによって、――それは、苦しみを減らすためであり、事実、そうすることによって、苦しみは減らせる。ずっと低いところにいる人、だれもあわれんでくれず、誰にもつらく当たる権限をもたない人の場合(子どもがいないとか、愛してくれる人がいないとかして)、その苦しみは、自分の中に残って、自分を毒する。
それは、重力のように圧倒的にのしかかる。どうして、そこから解き放たれるだろうか。重力のようなものから、どうして、解き放たれるだろうか。*1

それはただ“恩寵”としてこの世界には“不在の神”によって与えられるとシモーヌ・ヴェイユは言っている。ここにいたってぼくは、伊坂幸太郎のテーマは“不在の神”と“恩寵”の模索なんじゃないかと思い始めた。『重力ピエロ』は『重力と恩寵』のノヴェライズであり返歌であり反論なんじゃないのか…と。全体的に孤高/孤独な印象の漂うヴェイユにたいして、“家族”という、一歩違う方向に踏みはずせばもっと悲惨な状況を呼び寄せそうな舞台を背景に、一歩間違わない軽快なステップワークでタイトロープの出し物を伊坂幸太郎は描ききっていて感動的であります。
 
アヒルと鴨のコインロッカー[bk1]
『重力ピエロ』でもそうであったけど、本書においても結末近くまでプロットの本筋を読者から秘匿しているのは、もしかしたら“読書という行為において、もっともも全知に近い存在としての読者≒神”を物語から疎外しようとする試みなのかもしれない…そんなことを考えたのは→ ボブ・ディランを口ずさんでしまったために守り神としての役割を負わされてしまった ←あるキャラクターが、すべてのことが終わったあと、君はこの→ 復讐 ←にはかかわっていなかったんだと言われる場面を読んだときだった。コインロッカーのシーンは伊坂幸太郎による、ある種の決別の宣誓なのかもしれない。
 
『陽気なギャングが地球を回す』[bk1]
おもしろかった。ウェストレイクのドートマンダーシリーズを思わせる、ツイストの連続するコンゲーム/クライムノヴェル。世間一般の評を見て、伊坂幸太郎ってこんなんだろうな…と想像していたのと寸分たがわないエンタテインメント。っていうか、予想通りだったのはこれ一作だったな。