ヤン・マーテル『パイの物語』[bk1]

本書の白眉はなんといっても第2章→ 虎、ハイエナ、シマウマ、オランウータンと共に *1小さなボートで太平洋を漂流するはめになってしまった少年パイの悪戦苦闘するとこでしょう。この奇抜な設定におけるサバイバルを書き上げることができた時点で、もうこの小説は特級エンターテインメントの資格をじゅうぶんすぎるほど得ているのだけれども、それにしては物語全体の約三分の一をしめる第1章で描かれる、動物園園長の息子として生まれたパイの(漂流前の)生活や動物たちとの係わり合い、宗教遍歴(!)等等はユーモラスではあってもスリリングとはいいがたく、動物園ごとインドからカナダへ移住しようとするまでの日々を綴るだけならばもう少し短いほうがいいんじゃないかと思わせるし、本書のキモともいうべき第3章の“衝撃”のケレン味も今ひとつ切れ味が悪い、どうしたものでしょうかねぇ…。
↑という歯切れ感想は本書にミステリや冒険小説的な興趣を求めた場合の話。だいたい冒頭の“覚え書き”のなかからして、やけに“騙る”事に対する執着を見せていることからも、作家ヤン・マーテルがなにやらいびつなはかりごとをめぐらしているらしいことは見当がつく。「ここでカタラレテイルコトは額面どうり受け取っちゃいけませんよ、お客さん」とでも言ってるようで、そういう見方をすれば3章のアレも“真相の暴露”というよりも“物語の解釈のひとつの側面”を提示してるようでもあります。そうして1章を見直してみたとき、たとえば動物園ごと移住するというのはノアの方舟を思わせるし、それにパイ(π)という名前からは“円(球)”という連想も浮かんでくる。そこからさらに→ クローズド・サークル、閉鎖(生態)系とか、もっとグローバルに“地球” ←とか連想すると単なる漂流小説であった2章がとたんに、大きなどこかきな臭いものに見えてくる。そうすると1章におけるパイの日常生活の記述一つ一つだってなにやら意味深に思えてくる…それぞれの動物が暗喩してるものとか、宗教のこととか。そういえば“覚え書き”のなかで作者は…1939年のポルトガルとはまったく関係の無いこの物語をまとめることは…と“わざわざ”付け加えているみたいで、1939年といえば確か第2次世界大戦が…、それはさすがに深い読みが過ぎるのかもしれないけれども、そう勘繰りたくなるほどの暗喩がこの小説には詰まっている…ような気がします。少し弱気なのは十分に読みきれたという実感が無いからで、まぁ機会があれば何度か読み返すことになるでしょう。
でもまぁ単純に“オフビートな漂流冒険小説サプライズエンド付”のお話として読むだけでもけっこうオススメなこともまちがいないですよ。しかしこれを映画化するんですか、ナイト・シャマラン

*1:帯や解説や表紙などでバレバレですが(笑)一応反転