キング&ストラウブ『ブラック・ハウス』[bk1][bk1]

先日の日記id:seiitiさんから「…キングのファン・サイトのレビュー(原書が出た段階での)ではあまり評判良くなかったみたいでしたが…」とのコメントをいただきましたが、まぁたしかに評判を下げる要因はたくさんあります。第1章200頁をかけて舞台となる町と住人の紹介をおこなう出だしのじっくりとした構え方はからして、いかにも当世風ではないし、「食人鬼フィッシャーマンによる少年少女誘拐事件が続発」という煽り文句もピントが外れてる。“小説がはじまってから”さらわれるのは一人だけだし、だいたい犯人の正体も開始早々第1部の中で語り手に紹介されてしまうのだから、フーダニット、ハウダニット等ミステリ的な趣向への期待も裏切られてしまう。前作の、ナルニア直系の“行きて帰りし物語”にして“聖杯(タリスマン)を求め、表と裏のアメリカを横断するクエスト”であり“闇と立ち向かうことを余儀なくされる少年のビルドゥングスロマン”であった『タリスマン』を読んだ人ならば、ほとんどクーリー・カントリーという田舎町の中だけで展開される『ブラック・ハウス』はとんでもないスケールダウンに思えるだろうし、暗黒の塔シリーズとのつながりを楽しみにしてた人ならば、その神話体系の外側だけを借りたやり口には不満を覚えるのじゃないかと思う。しかしながら、読者に対する契約違反もここまで状況証拠がそろってるなら確信犯なんじゃないかなぁ? 『タリスマン』だって、恐怖小説2大巨頭による合作ということから期待されるようなモダンホラーでは全然無かったし。読者が「なんか思ってたのと違うなぁ」とか呟くのを二人してくすくす笑ってるんじゃないか、とすら妄想してしまうんだけど(笑)。
じゃあ「面白くないの?」…いやじつに面白かったです(ここは強調しておこう) 『タリスマン』の主人公にして、以前の冒険を忘れてしまってる退職した元敏腕LA市警警部補ジャック、盲目でありながら抜群の衣装センスをもつ初老のダンディで常人となんら変わらない生活を行い「車すら運転してみせる」と豪語し幾多の声色を使い分けるDJのヘンリー、ビールをがぶ飲みして頭突きの試合をしながら英文学にも精通した野生と理性の同居した人間ばかりのバイカー集団サンダーファイヴの面々、功名心の塊の新聞記者や子供をさらわれて狂気に陥る人妻、そして前代未聞(?)の食人鬼フィッシャーマンなど極度に戯画化された魅力溢れる登場人物。場面場面で読者の眼をはさないようにする引き、前半たっぷりとかけておこなわれる物語への導入部も加えてどこかディケンズバルザック、ウージェーヌ・シューなどの19世紀小説を思わせます。まぁそんなことは作中で何度も『荒涼館』やポーに言及されることからも明らかでしょう。まるで映画のように小クライマックスから長い物語に入る二十世紀小説は下品でさえあると考えている*1人にとっては格好のお楽しみじゃないんでしょうか。でも→   『ブラック・ハウス』下巻p583から始まる悪趣味なラストの趣向はディケンズ風の典型的な大団円を期待した人へのあてつけなんじゃないか   ←と邪推してるんですがね(笑)。

*1:小林信彦『小説世界のロビンソン』新潮文庫版p177、バルザックの『ラブイユーズ』紹介の項から抜粋