カリン・ボイエ『カロカイン』

全体主義的な世界を「楽園」として考える閉塞したひとりの人間が、自己を映す鏡としての他者を自覚することによって、罪を知り、恥を知り、おのれ自身によって罰を被る物語としてとらえれば、『カロカイン』を聖書における知恵の実の挿話の変奏と取ることもできる。しかしその「知恵の実」が、自白剤という強制力だということが、変奏に独特のゆがみと、圧倒的なダイナミズムをも生んでいる。愚直な視点人物によって見つめられる、さまざまの賢明な人びとの描き方には感銘を受けざるをえないし、シンフォニックに盛り上がる終盤には感動せざるをえない。