【集え】文学板―情報―スレッド【文殊】より


河出書房新社 『ピエール・モリニエ画集』 巖谷國士 10/17 \4,725 

新宿書房 『ラテンアメリカ主義のレトリック』 柳原孝敦 9/初 \2,940 

沖積舎 『タルホと多留保』 稲垣足穂、稲垣志代 9/- \5,040 

:南雲堂フェニックス 『ブリタニア列王史 アーサー王ロマンス原拠の書』 G・O・モンマス/瀬谷幸男訳 9/- \4,725 

文藝春秋 『走ることについて語るときに僕の語ること』 村上春樹 10/- \1,399 

平凡社 『ミステリと東京』 川本三郎 10/20 \2,400 

:未來社 『例外状態』 ジョルジョ・アガンベン/上村忠男、中村勝己訳 9/- \2,310 

アガンベンホモ・サケルものはマスト。で、コーマック・マッカーシー『血と暴力の国』を読む。会話と内省と描写を区別しない独自の文体、なにげない対話には思索/哲学のエコー、行動とその情景にはギリシア悲劇的なコーティングがかけられている、いつものマッカーシー節。しかし『すべての美しい馬』にはじまる国境三部作が青春小説/ロードノヴェル/ビルドゥングスロマン/ウェスタン等を内包する厚い物語であったのと比べれば、『血と暴力の国』は驚くほどシンプルなクライムノヴェルなっている。コーマック・マッカーシーの文体/物語に無駄な肉体はほとんどないけれど、それをさらに削ぎ落とし、相手を追い詰めてノックダウンさせるためだけの最小限の筋肉のみを残した凶器のようなシンプル。その残されたぎりぎりの肉を支える骨格として据えられているのがアントン・シュガーと名づけられた殺戮者の肖像だ。手段として殺すのでもなく、目的として殺すでもない。ただアントン・シュガーという軸線に触れてしまっただけで、致死の神託のように、もしくは避けることのかなわない疫病のように、彼/彼女には銃弾の結末が待っている。『墓場への切符』のモットリーや『ハンニバル』のレクターですら人間的に見えてしまうシュガーの類例をあえて探すなら、『完璧な涙』(神林長平)における、視認した目標を破壊するために現実と幻想/時間と空間のすべての因果のくびきを蹂躙してただひたすらにシステマティックに追跡を止めない、あの“戦車”だろうか。ただクライムノヴェルとしての結構がデウス・エクス・マキナ的に閉じられた後に続く静謐なモノローグからは、このシュガーという人の形をした怪物の“例”が特例ではなく凡例であるような世界への予兆が淡々とつづられていて、深く重い絶望的な余韻を響かせている。ともあれ、壮絶な傑作。