ひと月遅れのBook Baton

持っている本の冊数:5000超。一箱に文庫本十数冊入れてるクリネックスの空き箱が目に付くところでとりあえず200超。単行本も十数冊を横積みが基本でそれがおおよそ100超ってところ。押入れや実家に退避させている本と、部屋中に散逸している漫画、YAものなどは勘定に入れてません、っていうか分散しすぎて勘定できません。
 
今読みかけの本 or 読もうと思っている本:リチャード・フラナガン『グールド魚類画帖』…流刑の孤島にて繰り広げられる無類に面白い語り/騙り、タイプは違うけれどジュリアン・バーンズを読んだときのワクワク感が思い出されます。一日一章のんびりと読み中。ディーン・クーンツ『サイレント・アイズ』…我慢を知らず思いついたらほかの事など眼に入れないですぐにやってみたがる我侭さ、他人の行動を自分の都合のいいように解釈し、思いどおりにならないことも持ち前のポジティブシンキングですぐに自己正当化、前言撤回もお手の物だけどちょっとストレスがかかると吐いたり下したりで大忙し。ちょっと見には誰もが多少なりと抱えているような実に小市民的性格を一身に背負ったジュニア・ケインというあまりに人間的欲望を備えた人間が、名匠クーンツの手にかかるとこうも肝胆寒からしめる悪魔的キャラクターになるものかと、それこそ感嘆する。そして国枝史郎をいろいろ…当世随一のグランギニョルシグルイ』を読んだあおりで、おもに青空文庫にて。あとは買った本の中↓からぼちぼちと読む予定、『ソフトアンドハード』『僕はジャクソン・ポロックじゃない。』あたりからかな。
 
最後に買った本(既読、未読問わず):駿河城御前試合 上・下、Landreaall 6、The fishbone(←バトンを受け取った時点で)凶器の貴公子、クチュクチュバーン、モーキー・ジョー 1、うそつき、ふちなし帽 、モーダルな事象、バートルビーハッカー宣言、僕はジャクソン・ポロックじゃない。、夢でない夢、容疑者の夜行列車、黙示録3174年、渚にて、ダスト 上・下、、渇きの海 、神と野獣の都、ルナティックス、月の砂漠、父が消えた、葬送 第1部上・下、アムステルダムアメリカの鱒釣り、ソフトアンドハード、ひかりの巫女(←8/4現在)ほとんど新刊まとめ買い。“黙示録〜ダスト”は唐突に破滅モノを読みたくなったので。ひかりの巫女は佐々田雅子を検索してた際「そーいえばid:walkeriさんが以前推してたな」ってことを思い出して購入。“凶器の〜うそつき”はbk1ポイントでそれ以外は実費。
 
特別な思い入れのある本、心に残っている本5冊(まで):
大原まり子『銀河郵便は“愛”を運ぶ』:大原まり子なら鈴木いづみを極限までカルくしたようなゲンダイブンガクのメルクマール『処女少女マンガ家の念力』や、世界最早/最速のサイバーパンク『未来視たち』、クィアーで寓話的な『吸血鬼エフェメラ』『戦争を演じた神々たち』等々魅力的なタイトルに事欠かないけれど、トランスセクシャルな最高級セクサロイド・クラムジーの酷薄な(女)神っぷりと、内なるジェンダーの揺らぎにさまようフラジャイルなマッチョ・イルのコンビプレイが堪えられないこのシリーズが一番好きだったりする。単なるキャラクター小説と割り切って読んでしまうにはあまりにも惜しい“大原まり子的「愛」”のラディカルでグロテスクなすべての位相がつまったショウケースでもある。
リチャード・ホイト『シスキユーの対決』:ちょっと(だいぶ?)前のこと、早川書房が50周年記念(だったかな?)で復刊希望のアンケート葉書を書籍におりこんだ事があって、そのアンケート項目に「ハヤカワ文庫で一番面白かったものは」云々とあったときにとっさに思い浮かんだのがコレ。『デコイの男』においては競合する立場の女探偵にいつも先を越されてしまうヒーローらしくないヒーロー・ジョン・デンスン、“読者の意表をつく”という言葉が追いつかないほどに奇矯な彼方へと脱線に脱線を重ねるプロット、洒落に洒落すぎて不条理感さえ湛えるスタイリッシュ…オフビートここにきわまった感のあるこの一品の巻末には鏡明浅倉久志による伏字だらけ(っていうかスキップだらけ)の対談が収められてるけれど、まあたしかに紹介するとしたらこれしかない。事の始まりからして以下検閲削除失礼。ただ、このナックルボールの中にこそ/だからこそ芯に輝くヒロイズムの高潔がまぶしかったりもする。
片岡義男『ミス・リグビーの幸福』:物語の内部にいながら、あくまで物語の“読者”とのインターフェイスとしての“視線”を担うために個性を(作者によって)意図的に殺されカメラ・アイのロール・プレイを受け持つ存在を、ぼくは“天使的”とひそかに呼んでいたりする。彼らは家族や世界の悲劇のすでに手遅れとなった過去からの大風を翼に受け未来へと後ずさりせざるを得ない。それはたとえばロス・マクドナルドリュウ・アーチャーをはじめとするプライヴェート・アイたちの諦念と静観によく見受けることができる風景だ。そしてその中でもっとも簡素で透明で、ありえないほどのの達観を持っているように錯覚させられてしまう21歳のカリフォルニアの探偵マッケルウェイの視線の、あまりにシンプルでクリアであるがゆえ、その眼がみつめる事件のデーモニッシュな側面が笑顔の中にかすかにうかがえる狂気のように、“読者”へダイレクトにシュートされる。ついでにいっておけば、“作者”が後書きでもいっているとおり、カリフォルニアで21歳では探偵業を営めない。つまりは架空の天使の視線の持ち主、それこそがアーロン・マッケルウェイ。
竹宮惠子『私を月まで連れてって!』:特Aエスパーのニナ・フレキシブルとぐうたらで敏腕アストロノウツ・ダン・マイルドの(年の差17歳(笑))ラヴ・コメディ。その世界はまるきりソープ・オペラなのだけれども、スパイスは「歪んだ家」から「何かが道をやってくる」までSFのありとあらゆるフレーバーがつぎ込まれたきわめてマニアックでトリビアルな一品になっている。ここではセンスオブワンダーが日常を侵しているのか、日常がセンスオブワンダーを蹂躙してるのかよくわからなくなっているけれと、この混沌たるアマルガメーションがロマンティックをハイパーロマンティックなものへと昇華していることは確か。
ジーン・ウルフ新しい太陽の書』:神話的/寓話的/物語的、そしてそのすべてを統合するための語り/騙りの実験こそが僕にとってのマイフェヴァリットを決定付ける要素となっている。たとえば『ウインターズ・テイル』『香水ジルバ』『ハザール事典』『旅のラゴス』そしてスティーヴン・エリクスンやジョン・クロウリー…この(ぼくにとっては)眼もつぶれんばかりの偏愛の対象のなかからひとつ選ぶなら、こーゆービッグネームをだすのはちょっと恥ずかしいけれど、やっぱりジーン・ウルフしかないでしょう。とはいえほかの作品も捨てがたいのは確かで、だったらそれで5作選べばいいじゃないとの声も聞こえそうだけれどそれじゃつまらないし、なにより照れくさいですよ。ねぇ。
 
次にまわす人5人まで:われと思わん方はコメント欄までどぞ。先着5名さま。いらっしゃらなかったらそのときはまたそのとき考えます(ということにしておきます)。