伊坂幸太郎『グラスホッパー』[角川書店][bk1]

「バッタを知っているか?」(中略)「緑のやつですよね」「ああ、まあ、そうだな」槿が静かに言う「だが、緑ではないのもいる」(中略)「密集したところで育つと、『群集相』と呼ばれるタイプになる」(中略)「そう。そいつらは、黒くて、翅も長いんだ。で、強暴だ」(中略)「俺は、バッタだけの話ではないと思う」(中略)「群集相は大移動をして、あちこちのものを食い散らかす。仲間の死骸だって食う。同じトノサマバッタでも緑のやつとは大違いだ。人間もそうだ」*1
このような、人間という生きものに対する憤慨とも諦念ともとれるまなざしは、伊坂幸太郎を読むときにはいつも感じとってしまうもので、いかにステップの軽快な語り口やキャッチーな警句、キュートな箴言にコーティングされていようとも、ぼくはどうしても不穏な感情を抱いてしまう。うっかりラストで泣いてしまった時には、なんだかひどくたちの悪い罠にでもかかっってしまったような気になってしまうのだ。その点今回の『グラスホッパー』ははっきりと悪党どもの物語で、妙にアンビヴァレントな感情に悩まされなくて済んだ。どうしょうも無い世界に対する哄笑の、伊坂流ノワール。周り中黒いバッタだらけのなかで翻弄されるお人よしの(間の抜けた)緑のバッタ“鈴木”をひどい目にあわせられないのは、伊坂幸太郎の“優しさ”というべきか“限界”というべきか。そうそう岩西が言葉に権威を持たせようとして言及するジャック・クリスピンって、JCつまりJesusChristだよね、多分。

*1:グラスホッパー』p151-152