マイケル・グルーバー『夜の回帰線』[bk1][bk1]

妊婦が惨殺され、臓器と胎児の脳が摘出されるという事件が起こる。被害者からは多種多様の化学物質が検出され、現場にはあやしげな木の実がおちていた。…その事件はハイチ人の仕業じゃない。ハイチ人をはるかにしのぐ者の仕業よ。ハイチはこの分野ではむしろマイナーリーグなのよ。あの悲惨な島で一番狂ったボコール(ヴードゥーの祭司)によって最も過激なヴードゥーンでさえ、アマチュア劇団が田舎町で、ユージーン・オニールの『氷人来る』をどうにかこうにか上演した程度のものにすぎない。そうじゃないのよ、クレオ。比較で言えば、これはブロードウェイ。すべての完璧な源泉。すべての中心。交通手段にも奴隷制度にも汚されていない、植民地主義者にもほとんど知られていない、純然たる新石器時代のテクノロジー。それなのよ、クレオ。…*1。という筋からは、カルト殺人風の血生臭いスリラーを想像してしまうだろうけど、そーいう本ではまったく無い。キューバ系の捜査官パスによる事件捜査のパートでは、人種問題にくすぐりを入れながら、事件の異様さを徐々にプレゼンテーションして盛り上げてはいるのだけれど、問題はもうひとつの女性文化人類学者ジェイン・ドゥのパート。中沢新一ライアル・ワトソンか、ってくらいシャーマンに関する衒学いっぱいのフィールドワークやパートナーとの愛憎、文化の差異からの傷心等等の回想が大半を占めている。それは、読んでいてまったく飽きるって言うことはなかったんだけれど、スリラーのバックボーンとしての域をはるかに超えてしまってるこの分量はどんなもんでしょうか。むしろこの研究旅行記を何とか形にするためにカルトスリラーのワクを持ってきたんじゃないかって気がします。刑事のパートと学者のパートが1つになったあと(全体の3/4過ぎぐらい)の呪術戦はかなり面白いのでこのバランスの悪さはなんとも惜しい感じ。『インナー・トラヴェルズ』(マイクル・クライトンのノンフィクション)みたいなものを書きたかったのか、『ガダラの豚』みたいなものを書きたかったのか、そのあたりがもう1つ割り切れていないような感じですね。

*1:『夜の回帰線』上巻p108-109