G・K・ウオリ『箱の女』[bk1]

昨夜、このエレン・ディレイは、慎ましい自宅に踏み込んだ四人の警官に射殺された。初期の警察の報告書によれば、彼女が自宅付近で釣りをしていた男たちに発砲したのが事の起こりだった。この釣り人たちの通報に応じた警官たちがエレン・ディレイの家に近づく途中、銃声が聞こえた。この銃撃戦では、二百発近い弾丸が費やされた……*1そしてこのエレン・ディレイこそが、事故によって夫の工具箱の中に三日間閉じ込められてしまった末に、ある変貌を遂げてしまった“箱の女”である…こんなふうに言ってしまうといかにもサイコサスペンスのようだし実際それを期待して読み始めた本なのだけれども、実際は狂気とか恐怖とか戦慄とはかなり縁遠い小説でした。先に書いた顛末を縦糸にして、事の次第から殺人者の父親になってしまった中年の男が事件にかかわったメイン州のキリファーキーグという町の人々のことを語っていくという形式で話は進んでいくんですが、まぁつまりすべて終わってしまった時点からなぜこのような悲劇が起こってしまったかということを述懐しているわけで、プロットで読ませるタイプの小説ではありません。例えば“箱の女”エレンにせよマッチョな女監督官ケアリにせよ、この小説内に出てくる人物はすべてどこかアメリカのもっている病巣を戯画化したようなキャラクターをしていて、彼らがいかに冷静に狂った振る舞いをしているかが描かれていて…そう、ティム・オブライエン『ニュークリア・エイジ』のような全体小説的な群像劇といったほうが本書のイメージが伝わりやすいと思います。そういう小説ならば全米書籍販売商協会年次総会で最優秀作品の指名を受けたという評価の高さもうなずけますし、読み終えてしばらく経ったいま物語を反芻してみると「…もしかすると傑作といってもいい作品のはずだったんじゃないかな」とか考えたりもします。
幾分言葉を濁してしまったのは翻訳の不味さから…生硬、ぎこちなさ、すぐには意味を汲み取れなかったり言葉遣いが間違ってるんじゃないかと思うようなところがたくさん目に付いて思うように読み進めなかった感じがあります。原文に当たったわけじゃないので訳の正しさといったことは判りませんが少なくともこの不自由な日本語は、語り口がすべてといってもいいこの小説にとっては致命的な欠陥なんではないんでしょうか。読んでる途中でなんども「村上春樹の翻訳だったら…」とか考えたりもしましたね。読後時間が経つにつれて印象がどんどん良くなっているので、かえって読んでる最中に感じていたもどかしさが惜しいです。オススメはしたいけど、素直にオススメできない、うーん。←まあ、勘違いでした。すなおにおすすめしたい。

*1:『箱の女』p12