『甘美なる来世へ』[bk1]

読了、ようやく(笑)。面白かったのは確か、でも人に薦められるかとなったら別で、むしろ…「読んだ?」「読んだ!」「むふふ」「うふふ」…という感じで読了したもの同士が淫靡な秘密を分かち合うような意味不明の会話を交わすのがとってもお似合い。
メインとなるプロットには、尖っていて落ち窪んだ顔で「ああ」とか「うう」とか「ううん」とかしかいわないベントン・リンチと太もものプラム色のあざのほかはミルクのような純白のどうしょうも無い尻軽ジェーン・エリザベス・ファイアーシーツが出会ってくっついたり離れたりしながらいつの間にか強盗をやってその挙句に…といういかにもフロリダちっくな犯罪小説的な物が用意はされてるけれど、そんなものに言及されるのは序盤においては章の最初にほのめかされ章の終わりぐらいにやっと申し訳なさそうにでてくるぐらい。ほとんどはその本筋とほんのちょっとかかわってる人、物、場所について、本筋とはほぼ無関係の由来とか状況とか顛末など…なんというか柴田元幸風に言えば”しょうもない”ことをが執拗に念入りに充分すぎるくらいに語られています。そのほとんど轟音ノイズとしか思えない市井の人々の挿話こそが肝だとおもえば、この小説は犯罪カップルをめぐるロバート・アルトマン群像劇だよと言ってしまってもいいかもしれないのだけど…でもそんなことは到底言えません。ピアソンの途方も無い語りっぷりが気になって群像劇どころじゃぁないのですよ。
だいたい ジェーン・エリザベス・ファイアーシーツの熱心な要請に応じ、程なくして今度はベントン・リンチがジェーン・エリザベス・ファイアーシーツの下方の領域と意思疎通を図り、そののち二人とも下方の領域同士が交友し歓談しあうに任せた末に締めくくりとして二人でかなり熱のこもった論争と見えるやり取りを開始し今度もまた活発な意見交換を行ったのだった。*1 …セックスシーンだってこの有様(笑)。いやセックスシーンだけならば、昂進したリビドーによる見当の喪失と抑えがたい情動の発露を表現するための実験的手法の一つとして筒井康隆もこんな書き方をやってたんじゃなかったかなぁとは思ったものの、ピアソンの場合この文体でありとあらゆる場面を蹂躙してしまうのだから大変。そこかしこで語られる挿話は、人の死や犯罪、家庭崩壊などイメージのよくないものが大半で、冷静にみることができれば”むしろデイヴィッド・リンチ的な肌触りの悪さを思わせないでもないのだけれど、なにせピアソンのねちっこい視線と舌先三寸で徹底的に陵辱されてるものだから深刻さが沸いてこない。こーゆーのも人徳っていうのかな…(笑)。
そのうえこの小説の構成もヒドイ(←褒め言葉)もので、たとえばダンジョン型のロールプレイングゲームをやるときに、たとえ目の前に下への階段が見えていたとしても、その階の地図を完成させてからでないと気がすまないという人はけっこういるだろうけど、ピアソンの文章はまさにソレ。なにか新規な人名や地名、店の名前が出たら要注意でそこから「牛の小便18マイル」*2が始まってしまう。おまけにそこまでしたとしても上物のアイテムなんか出てこないで無駄にレベルが上がったりするだけだったり、その階を探索している途中でまったくべつの階段に出くわしてそこも探し尽くさないと気がすまなかったりするところとかいつの間に自分がどこを探索して何をしようとしていたのかさえ忘れちゃうとか…、傍で見てるともぉええゃん、先ぃ進まんかぇと似非関西弁で突っ込みたくなってウズウズしちゃうのですよ、ええ。
まぁとにかく脱線に脱線を重ねる…っていうより本線ともいうべき主人公(?)カップルによる強盗の話は小説の目と鼻と尻尾をつけるためだけに用意されたようなもので、その本線の顛末の”しょうもなさ”は数々の挿話に負けず劣らず。とりわけ結末のあっさり風味には呆然。最後の最後に、本線には関連してるけれど厳密に言ってしまえばまったく別のところで、これまた柴田元幸風に言えば”上等の憂鬱”が待ち受けているところなんかとことん人を食ってるとしか思えません。訳者あとがきを見れば英文学史上最大の脱線小説ロレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』に影響を受けたとのこと。あーあーなるほど、あれは学生の頃いったん投げ出した覚えがあります。ピアソンを読みきった今なら読めるかも(笑)。

*1:p244-p245

*2:訳者あとがきより