関戸克己『小説・読書生活』[bk1]

小説・読書生活」:自動記述とかデペイズマンとか口走りそうでした。こんなにまっとうなシュールレアリズム小説を目にするのも久しぶりっていう感じの小エピソード群で構成された第1章。正直この調子で100頁超を読まされるのはかなわないなぁとか考えていたら2章で物語の外枠を固めるように地に足の着いた描写が出てきて一安心。”飲む小説”というコンセプトなのですが、要は→酒(小説)を飲んだら酒(幻想)に飲まれてしまいました←という話?1章おきにはさまれるシュールレアリスティックな描写がいささか冗長で、この部分を楽しむには、それこそ飲むがごとく一気に読んでイメージの奔流を浴びるか、啜るがごとくじっくり味わうかでしょう。どれくらい編集の手が入っていたかはわかりませんが、もう少し刈り取られていてもおかしくないとは思います。
「猫が嗅いだ匂い」:バイクでの二人旅の様子があれよあれよというまに時間と空間が錯綜していく。主人公たちはそれが特に不思議なこととは思わず、けっこう悲惨な目にあっても気にするのは食い物のことばかりというのが可笑しい。気がつくと幻想がこちら側にするりと入り込んでぬけぬけと居座っているのが、おそらく関戸小説の味なのでしょう。往年の吾妻ひでおをふと思い出したりしました。「小説〜」よりもすっきり(短く)まとまっていて、これは一気読み。
「観光用虹発生装置」:「猫〜」よりさらに短い小品。おお、普通の小説みたいだ(笑)と思ったとたん半分過ぎぐらいに出てきた→スーツケース大の石鹸←にびっくり、そこからどんどん不条理が浸食してくる。でも、こういう嫌な感じには慣れっこなのである(p182)と、なるほどこれが関戸味か。ラストで表題どうりの装置が出てくるが、なんでそんな装置が出てくるかわけわからない。装置の用途もナンセンスなら、対する親父の一言もまたサイコー。
そして「生きている渦巻き」本書の半分弱を占める200頁近く、長めの中篇というか短めの長編というか。それはともかく傑作です。解説によればこれが商業出版を視野にいれて書かれた最初の一編とのこと、なるほどシュールなイメージを描くことを第一としていたような他の3編とは一線を画してます。十六年間睡っていたらしかった。(p189)というハッタリの効いた書き出し、そしてその原因とおもわれる時間感覚(もしくは"時間"そのもの)を狂わせる「生きている渦巻き」という絵、と読み手をひきつけておいて、その絵を描いた視覚異常の友人瀬川との思い出が語られます。回想の形で書かれる瀬川の半生はきわめてリアルで、自分の眼前に広がる歪んだ情景を理性的に対処しようとして絵画に取り組むその姿はまるで求道者のようでもあり、この部分だけでも相当に面白い。もちろん幻想による浸食も描かれます、最高のタイミングで、とびきりの錯綜が。この作品が読めただけでも本を買った甲斐がある・・・いややっぱり高いよなぁ2800円は。